2005.2.1 Tue 突然、そして… 《36週4日・・・10ヶ月》 出産
いつもどおり普通に眠れた。
いつもと違ったのは朝からピンク色のおりものが出ていたこと。
いちおう看護婦さんに報告。これが『おしるし』って奴だったのかな?
9時頃内診をしてもらい、前日同様に陣痛誘発剤を飲むことになった。
(このころ子宮口4cm(たしか)、赤ちゃんの下がりもよく順調らしい。)
前日の感覚、そしてまだ飲み薬ということからそれはまだまだだろうと気楽に考えていた。
ただもう2月に入ったし、いつ生まれてもいいな〜とは思ってたけど。
1時間毎の薬、腰は痛いけどお腹の張りってよくわからない。

お昼 母からメール…まだ大丈夫?お母さんついててあげようか?…
このメールにまだ大丈夫と返した私。

13:30 この日5回目の薬をもらいに行く。
どのくらいになったら病院からクロさんに連絡がいくのか聞いてみたが、自分でするものみたい。
できない状態だと連絡してくれるみたいだけど…。
とりあえず、看護婦さんにクロさんは病院まで4時間かかることを伝えておく。
クロさんにも病院からの連絡についてのメールを送った。
この日のメールのやりとりはここで終わる…。


14:20 この日最後の薬をもらいに行くまで、あと10分という頃…
腰の痛みを感じながら、うつらうつらしていた。
そしてそれは突然やってきた!
!!!ひぃっ!!!ドバーーー(←涙)
痛い〜〜〜!!
急に今までないお腹の痛み。4人部屋にいた私は、泣いているのを気づかれるのがすごく嫌だった。 患者さんだけでなく、時々となりやお向かいの様子を見に来る看護婦さんにも。
必死で声を殺して涙を拭きつつ、呼吸を整える。

〜〜頭の中である光景を思い出した。
ある日の夜の検温。向かいの隣のベッドの妊婦さんは早産気味で入院していた。
お腹の張りで看護婦さんに泣きながら話をしていた。
そのときは泣く程のものなの?と思ってた。でも今はわかる…!〜〜

もう次の薬をもらいに行かなきゃ…。
なんとか立ち上がり、歩いてナースステーションへ。
すると看護婦さん、「モニターつけるから病室で待ってて」、
私「はい〜(せっかくきたのに…泣)」
ベッド上の私、どうにも痛くて薬の前にモニターをしてもらうことに。
モニターは40分間。結構な間隔で痛みが来ていたが我慢した。
それぞれカーテンを閉めていて本当によかった。思いっきりもがいてたから。
でも苦しむ息づかいは聞こえただろうな… - -;)

40分後、もう我慢できない!!早くモニター取って〜!
モニターのグラフを見た看護婦さん…「1回内診してみよう、処置室まで来れる?」
私「た・たぶん…」(いじっぱり?)
とりあえずトイレに行き(結構出血)、処置室に行く前に痛みが来たのでベッドに横になった。
ら…、もう動けない〜〜〜!
ついにナースコール「すみません、自分で動けなくなりました…」
バタバタ…、と2人の看護婦さんがやってくる。
(うわ、派手なことになってきちゃったな…)
「陣痛室行く?歩ける?車椅子持ってこようか?それともストレッチャー?」
(!ストレッチャーなんて大袈裟な物、はずかしい!!)
「…車椅子で…」「処置室に呼ばれてるんです…」

車椅子で処置室に運ばれ、内診。
子宮口まだ「4・5cm」「でももうペラペラだよ」(?なにが?)
パジャマを履き直したところで、また痛みがきて先生に支えられないと立ってられなかった。

処置室を出るともう陣痛室にさっきまで寝ていたベッドが来ていた。
ベッドに移る。そしてまたモニター…(泣)
もうほとんど絶え間なく来る痛みに恥も何も忘れ
(陣痛室にはすでに2人いた、けど結構静かだったの^^;)、
「痛〜い!痛〜い!!」と叫ぶようになった。
看護婦さんに母に連絡をとってもらうように頼む。
母の勤める会社は病院から10分程度?のところ。とにかく早く身内に来てもらいたかった。
そして母ならクロさんに連絡をしてもらえる…そう思っていた。
さほど時間は経ってないと思う。
「もう分娩室行こう!」
また車椅子…。すぐに分娩台の準備をされ、痛みが比較的引いた時に移る。
子宮口8・9cm。まだ全開大じゃないらしい。

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ここから先は時計は見ていた。でも覚えていない。
あやふやな記憶だけど覚えてることを書いておこう。

とにかくゆっくり呼吸して、声出さない…それだけ。(とてもじゃないができない)
看護婦さんが「飲み薬でここまで効くのはすごいよ!」といっているのが聞こえた。
でも、なかなか全開大にはならなかった。
いつも診てもらっていた先生が内診する。
張りが来た時は全開大になってるらしい…。ただ、私の尾てい骨にひっかかってる…って。
人工破水。ジャバッジャバッと暖かい物が出てくるのがわかった。
でもやっぱりひっかかってるのか出てこない。
そうこうしている内に、陣痛が遠のいて来てしまった。

疲れた…。もう目が開けられない…。
「薬が切れたのかも」
しばらくの静かな時間…隣の分娩室で産まれたらしい。
ものすごい安産で。看護婦さん達も覗きに行ってるし… - -;)
ここには助産士さん?と看護婦さん?の2人しか残ってないよ、オイオイ。

また先生が戻ってきた。
陣痛促進剤の点滴開始。痛みと同時にいきむよう言われる。
頭の上のバーを押し上げ、おしりは引かない…って無理〜!
どうしてもバーを引いて体を引いてしまう。
いきみかたがわからない><痛みもいまいち…それに疲れたの!
「もうだめ…」あきらめの声が出る。
何度か試すがダメだった。

「吸引で出そう、先生に連絡して!」
バタバタバタ…。 一気に慌ただしくなった。
もうおしもを切って吸引分娩に切り替えたのだ。
そして私の場合、双子・早産ということで小児科の先生を呼び、とりあげた赤ちゃんをすぐに処置するため看護婦さんも結構多めに呼ばれているらしい。
そんなに広くない分娩室に10人はいただろう。
サクッ!
そんな音のような感触のようなものがおしもの方でした。痛いことは痛い。
でも切れた痛みより、すぐにおしもに機械らしき物を入れてるのがすっごく痛い!
グイグイとなにかされてる><
すでに陣痛も微妙だったが、もう無理矢理産むしかない!そう考えてとにかくいきんだ。
一人目、後から出てくる子より大きい。産道も開いてないし痛かった。時間もかかった。

産まれた瞬間はよくわからない。もう忘れたのか、記憶がないのか…。

19:51 一人目誕生。すぐに連れられていく。看護婦さんが荒く拭いた第1子を見せてくれた。
でもまだ終わりではない。次の子を産むまでは…。
早く産んで終わりにしたい。でももう陣痛がよくわからない…。
とりあえずいきんでみよう。
そんな感じだった。陣痛でいきんだんじゃない。

20:07 2度目の人工破水後、数回のいきみで産まれた。
二人目は自分の足の間にいる子を見ることができた。小さい。
終わった…。

その後ぺったんこになったお腹をグイグイ押されて後産。
そのあとは静かだった。
おしもはやっぱり裂けていて、縫い合わせるのに結構時間がかかっていたように思う。
途中で麻酔も覚めてきたりで痛かった。
分娩中はかなり口が渇いた。何度か看護婦さんが差し出す麦茶を少しずつ飲んでいたが、途中からはそれどころではなくなり飲んでいなかった。
自分のベッドになんとか移り、やっとのことで口を潤した。

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ベッドの上で手伝ってもらいながら病院の寝間着に着替え、
痛み止めを飲んでから分娩室の外へ運ばれる。
ぼ〜っとした景色の中で、クロさんと父母、義母の姿が目に入る。
クロさんが部屋まで付き添ってくれた。
涙も出てこない、話すことも手を伸ばすこともできなかった。

もう時間は21時をまわっていた。
病院の消灯は22時。
それまでクロさんに少しずつ今日あったことを話した。
クロさんからも連絡が行き違って間に合わなかったことを聞いた。
第一声がなんだったかは覚えてない。
3人無事でよかった…
と、何度も言っていたのだけは覚えている。
電気が消え、クロさん達が帰るとそのまま眠りについた。



回想
思い出して書くのって難しい。
文章書くのがヘタなのもあるけど、やっぱりあの時のことをうまく表現できない。
同時に起きてることとか、ふっと見ていた景色とか、全然関係ないことを考えてたな〜とか
思い起こせばいっぱいあって、全部書けたら後で見て面白いだろうな…とか思うのだけど…。

出産に関しては
とにかく、うまく産めなかった!とは思った。
本当、痛い時に声出すと余計痛いし(でも訴えたくて声を出してしまう)、
どうしてもウ○チが出そうな感じがして(そういうものらしいと後で知った)いきめなかったり。
もう一回やったらもう少しうまくできそうな気もした。(でも双子で小さかったのに、それですら尾てい骨にひっかかるってことは、普通の大きさの子を産めるのか?)
産んだ直後は「もう産まん!」とか思ったけど。(今もまだ嫌だけど)
でも妊娠中のこととか思い返すと幸せだったと思うし、 ちび〜ズを見てもそう思う。
産めてよかったな…^^


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